向かいに座った智秋が、飽かず眺めているのはベックリンの画集だ。
彼は既に小一時間も、ページをめくる事なく『死の島』と題された絵を見ている。
重い緑灰色で描かれた空と、それを映す鏡のような水面。
崩れた要塞を思わせる島に、今しも着こうとしている小船には、
棺と、黒衣の舟守と、いっそ禍々しいくらいに白く輝く者が乗っている。
祈津には、この絵が何をどう象徴しているのか分からなかった。
ただ、瞬きするのも惜しむように絵を見ている智秋の姿が、
愛しくもあり、痛々しくもあり
心の底を掻き乱す。
それがどうにも堪らない。
祈津の視線にやっと気付いた智秋が、久し振りに画集から顔をあげた。
なんの衒いもない、柔和な微笑みさえ浮かべて――
――いい絵だろう。 この絵もいいけど、この人の描く人魚は髪が緋色なんだ。 ほら
ページをめくった白い手に、祈津は自分の手をそっと重ねた。
智秋の髪も、秋の陽の下で人魚と同じ色に染まって見える。
――なに、 ……もしかして、絵に嫉妬してるの?
智秋が身を乗り出し、唇が触れ合う。
――馬鹿だな。 おまえが一番に決まっているだろう。
2006.09.10