父の言葉の意味を考えては否定し、そしてまた考えながら新宿まで帰って来た。
祖母に電話を掛ければ済む事だったけれど、それは憚られた。
どうして僕が北都ちゃんの婚約者と結婚するんだろう?
あの人も僕も男なのに、絶対に有り得ない!
なんで誰もおかしいと思わないんだろう?
おかしいのは僕の方なのかな?
こんな風だから、マンションの玄関先に立った時、無意識に自分の部屋のインターフォンを押していた。
いつも昴流が帰宅する時間には、北都が部屋来て待っていてくれた。
そうしてオートロックを解除してくれるのが常だったから、自分で開けた事なんて滅多にない。
-でも、北都ちゃんは今…
きゅっと胸を締め付けられ、改めて暗証番号を押そうとする指が強張る。
その時、ガラス戸が昴流の目の前でスッと開いた。
スピーカーからは聞きなれた声。
「昴流、遅いわよ! あなた、16になっても亀さんのままね」
「…ほっ、北都ちゃん?!」
昴流が転げるようにエレベーターを降りると、北都が廊下に出て手を振っていた。
「北都ちゃん!」
「なぁに昴流。‘ただいま’くらい言いなさい!」
北都が昴流を窘める時によくする、人差し指を立てたポーズで笑っている。
「た、ただいま。 …って、北都ちゃん! みんな心配したんだよっ!?
お見合いの朝に駆け落ちするなんて、どうかしてるよ」
「誰が駆け落ち? 私、駆け落ちするなんて言ってないわ。
ちゃんと牙暁の所に行くって、昴流に伝えたじゃない」
「そんなっ…」
「さぁさぁ入って入って。お客様よ」
「え…?」
北都に背を押され玄関に入ると、見慣れない紳士靴が揃えられていた。
-牙暁さん?
「もぅ、早く上がって来なさい」
北都はスタスタと奥へ向って歩いて行く
「お待たせ、やっと昴流が帰って来たわ。 ほら、昴流もグズグスしないっ!」
なんで北都ちゃんは、駆け落ち相手を僕の部屋に招いて、平気な顔をしているの!?
そう叫び出しそうになるのをグッと堪えて、昴流はリビングの入り口で頭を下げた。
「初めまして。 あの、弟の昴流で…」
「お帰りなさい、昴流君。 お邪魔しています」
聞き覚えのある声に顔を上げると、桜塚星史郎が微笑んでいた。
「……桜塚、さ… 」
「星史郎と呼んで下さいと、お願いした筈ですよ。 ね、昴流君?」
「…え、ええええええーっ?!」
なんでここにこの人が?
と思った後に、ようやっと気が付いた。 こんな事をするのは-
「北都ちゃんっ!?」
「おーっほほほっ、呼んどいてあげたわよ。 昴流の婚約者を」
「なっ、なんでこんな!」
「何を怒ってるの? ちゃんと昴流の大好きなTopsのチョコレートケーキも買って来て貰ったのに。
ねぇ、星ちゃん?」
「ええ、昴流君がお好きだと伺ったので、御土産にお持ちしました」
「では特別に、この北都様の淹れた紅茶を2人に振舞って差し上げるわ」
北都はケーキの箱を持つと、高笑いを響かせながらキッチンへ消えてしまった。
昴流が困惑していると、いつの間にか傍らまで来ていた星史郎に手をとられた。
「昴流くん」
手の甲に軽く触れ、すぐに離れていく唇に目を奪われる。
「勝手にお邪魔して申し訳ありません」
そこから発せられた言葉で、昴流は我に返った。
自分の頬が上気したのが分り、咄嗟に手を引く。
「冗談はやめ…」
「冗談ではありません。 婚約者の印、お気に召しませんか?」
言われて見ると、たったいま星史郎が口付けた手の甲に、逆五芒星が蒼白く浮かび上がっている。
「け… 消して下さい!」
星史郎は上擦った声を上げた昴流を制し、もう片方の手にも星の形を刻み付けた。
「君は僕のものです」
言うが早いか、星史郎は昴流を腕の中に抱き込んでしまった。
振り解こうと藻掻けば藻掻く程、抱き締める腕の力が増す。
「離して下さ、い」
北都の耳に届かぬよう、昴流が小さな声で抗議をすると、星史郎も息が掛かる程に顔を寄せて来た。
「昴流君は良い香りがする」
首筋に鼻を擦り付けられ、身体が震える。
「ゃ…」
クスリと笑われたと思うと同時に、キスされた。
悲鳴を上げそうになるのをグッと堪える。
「可愛いですね… 今日は、ここまでで我慢しておきましょう」
そう言って星史郎が離れると同時に、北都が紅茶と切り分けたケーキをトレイに乗せて戻って来た。
<つづく>