2月19日 今日は昴流と北都の16歳の誕生日だ。
本来なら、この善き日に相応しい、清々しい朝となる筈だったのに―
昴流は1ヶ月振りに京都に帰って来て、一人で離れの自室に寝ていた。
少し前までではあるが、この皇本家の当主の部屋には
不寝の宿直(とのい)まで措かれていた。
しかし今、昴流が成長するに至って、その慣習は廃止されている。
要は「そんな事をされたら、気になって眠れません!」と云う
至極もっともな昴流の意見が、皆に認められたのだ。
しかしそんな今でも、この離れに自由に出入り出来るのは
昴流本人と、前主の祖母のみである。
後は昴流の身の回りの世話をする者だけが、立ち入りを許されていた。
さて、その何者も忍び込める筈のない、屋敷の奥のこの部屋で
昴流は今、不穏な気配に目を覚した。
「う、うわああぁぁっ! …ほっ、北都ちゃ…ん?」
自分と同じ顔が眼前にあるのに驚いて声を上げる。
「しっ! 大きな声を出さないでよ」
「び、びっくりした… どうやって入ったの?」
「寝ぼけないで頂戴! この北都様に不可能はないのよ!
そんな事より、ねぇ、昴流? 私、やっぱりお見合いなんて出来ないわ」
「えっ?! 北都ちゃん… 今になって、何て事を言い出すの?」
今日は姉の北都と、桜塚星史郎の見合いの日だった。
桜塚家は、この皇家同様、陰陽道を司る家柄。
そして見合い相手の星史郎は、その桜塚家を若くして継いだ
桜塚護である。
北都が16歳になるのを待って、この見合いはセッティングされた。
見合いと言っても既に決まった事。
結納の日取りまで決定済みだ。
だから昴流も東京から呼び戻されていたのだ。
当主として、姉の婚約者になるであろう人に挨拶をする為に。
「だからこれから、牙暁の処に行く!」
「 …北都ちゃん?! 牙暁さんって、あのっ」
「もう時間がないの! とにかく、私は桜塚家に嫁ぐ気はないのよ。
だって、牙暁と愛し合っているんだもの! じゃあ、後の事は頼んだわよ」
言い置くと北都は障子を力任せに開け、入り側を一気に飛び超えて
僅かに開いた板戸の合間から庭に消えた。
同時に寄り付きから複数の声が上がる。
バタバタと騒がしく、それは昴流がいる寝所にまで近付いてきた。
「お、お待ち下さいっ …御当主はまだ、おひなっておられませ…」
「煩いわ!私はその当主の生母よっ!文句があるなら言ってごらんなさい!」
バンッと勢い良く開いた襖の向うに、母が仁王立ちになっていた。
「昴流っ! 今、北都が来たでしょう?!」
「マ、ママ…?」
「北都を出しなさい!」
寝巻きの襟首を掴まれて息が詰まる。
「いないよ… ここにはいません」
「嘘をついたら許しませんよ!」
女御のひとりが母を引き離し、遅れてやって来た祖母がその場を収めて
くれなかったら、朝から昴流はどんな目に合わされた事だろう。
静かになった部屋で、昴流はその場の女御と一緒に溜息を付いた。
「申し訳ないけど、もう、起きてもいいかな?」
本来、誰かが起しに来るまでは、昴流は勝手に起き出したりはしない。
もし手水に立つ事があっても、『おひなって下さい』と
隣室から声を掛けられるまでは、いま一度、寝所に戻って待つ。
朝の準備が整う前に当主が起き出しては、下の者の仕事の手順が
狂ってしまうからだ。
「は、はい。 おひなって下さいませ」
「ごめんなさい」
「そのような… あの、禊の用意をして参ります。暫くお待ち下さいませ」
「うん。 本当にごめんね」
ひとりになって、もう一度溜息を付く。
見合い当日に、北都ちゃんが他の男の処に行ってしまうなんて、
これは駆け落ちしたって事なのだろうか?
桜塚様に、何と申し開きすれば良いのやら見当もつかない。
まして自分は若輩であるし、ここは祖母に頼む他ないだろう。
昴流は少しでも母の頭が冷えるようにと、身支度を整えるのに時間を掛け
憂鬱な気分で朝食を終えてから、皆の待つ中奥へ向った。
案の定、母の怒りは収まってはいなかった。
「遅いわ! 本当にあんたは亀ねっ!」
「ママさん、落ち付いて下さい。 昴流君が悪いのではありません」
「パパは黙ってて頂戴! これは皇家の問題なのっ」
入り婿とは言え、父だって皇姓になって17年にはなる筈だ。
仮にも夫に向って、その言い方はないだろうと昴流は思う。
それに聞くところによると、パパもママも駆け落ち同然で
一緒になったのではなかったか。
大体、北都ちゃんが団地妻を人生の目標としていたのも
家を捨てる覚悟で、この父の元に走った母に憧れていたからだ。
あぁ 北都ちゃんったら、そんなところまで真似しなくたって良いだろうに…
「昴流さんもこちらへ」
祖母が促してくれたお陰で、とにかく昴流もやっと座ることが出来た。
「おはようございます」
「おはようさん」
「あの、それで… どう致しましょう」
「先程、桜塚様が御投宿なさっているホテルに、連絡をと思いましてな」
「はい」
「それが、前桜塚護様が… なんと言いますか、話が噛み合わしまへんのや」
「どう言う事でしょう?」
「息子はんは来客中で、とにかく時間通りに伺いますの一点張りですのや」
「はあ…」
祖母と顔を付き合わせて話し込んでいると、グイと肩を掴まれた。
母が、北都ちゃんの振袖を持って立っている。
「だから昴流がこれを着なさいっ!」
「えええええっ!!」
「そないな事、無茶やと言うてますやろ」
「じゃあ、母さんはどうするつもりなの?!
これだけそっくりなんだから分りゃしないわよ」
「わ、分るよ。 僕、男だもの」
「分かんないわよ! 何の為の双子なのっ?!」
「な、何の為って…」
無理に決まっている。
助けを求めて父を見ると、畏まって、ふるふると首を横に振っていた。
「ママ、いくら僕と北都ちゃんが似ていると言っても
絶対に男だって分ってしまうよ。 僕、声代わりだって…」
「じゃあ、黙っていれば良いでしょう!」
「ママさん、それは無理ですよ。 昴流君が可哀相…」
父が割って入ろうとすると、母がその肩を押し退けた。
「パパ、大丈夫?!」
「いい加減にしなさいっ!!」
祖母の一喝で、場が静まり返る。
「北都さんは、病を得て休んではるんや」
「おばあちゃん…」
「今日のところは、昴流さんと私とで、桜塚様にはお詫びします。
これで、よろしおすな?」
<つづく>