血塗れの左手を見ながら、タバコに火を点けた時
今更ながら、人と物の違いが良く判らない事に気付いた。
昴流と物の区別は出来ると思い込んで来たが、それは本当だろうか…
― では、その違いとは?
その夜、星史郎は帰って来ない筈だった。
だからと云う訳でもないが、昴流はバスローブ姿のままテレビのニュースを見たり
本を読んだりして、ひとり怠惰で退屈な時間を過ごしていた。
そんな時、突然星史郎が帰宅したので昴流はとても驚いた。
彼がチャイムも鳴らさず、『ただいま』も言わなかったのは始めての事だ。
星史郎は何も言わず、バスルームに消えた。
そちらからは、幽かな血の匂いが流れて来る。
星史郎が仕事の気配を残したまま戻って来るなんて…
昴流の背を、冷たい汗が伝う。
こんなにも濃厚な気の揺らぎを感じるのは、あの時以来だ。
星史郎を近くに感じて顔を上げた瞬間、昴流の顔に何かが触れて視覚が奪われた。
「えっ… 」
驚いて手を遣ると、幅広の布が目を覆っている。
「星史郎、さん」
腕を掴まれ、立たされる。
本が昴流の膝から滑り落ちた。
「やめて下さい… あっ」
脱がされる時には抵抗を試みたものの、それもすぐに封じられてしまう。
拙いと思い、手を引こうとした時には遅かった。
手首が身体の前で重ね合わせられるとすぐ、たった今剥ぎ取られたバスローブの
ベルトらしきもので縛められる。
そしてそのまま、フローリングに押し倒された。
「やっ… 」
無駄だとは思っていても、すぐに始まった愛撫に抗い
昴流は星史郎を押し返そうとした。
「星史郎さん、これを解いて下さい!」
強く言っても、返事はない。
そうしていつまでももがいていると、不自由なその手が
頭の方に引っ張り上げられ、何かに括り付けられてしまった。
「や、やめて下さい!」
星史郎が昴流の脚を立て、膝を開かせる。
「いや、だ!!」
「煩いですよ、昴流君。 お口も塞がれたいのですか?」
その夜、星史郎から発せられた始めての言葉に、昴流の身が竦む。
「そう、大人しくしていらっしゃい」
足の指から始まって、徐々に星史郎の舌が這い上がって来た。
昴流は与えられる刺激に怯え、それに堪えるのに精一杯だ。
やがて昴流の躰が兆し始めると、星史郎の舌が一番敏感な処を避けて止った。
星史郎の視線を痛いように感じる。
「な…ぜ、こんな」
問いに答えは無く、暫くして、今度は腕から躰の中心に向って愛撫が再開された。
昴流は意図していなかった処に星史郎を感じ、不安と恐怖に悲鳴を上げる。
「ひっ… や、ぁ…」
無防備に晒された腋に鼻を擦り付けられ、逃げ場の無い床の上で身を捩る。
星史郎の全てが昴流を苛み、追い詰めた。
痺れるような快感の波に飲まれ、今にも溺れそうになる。
「っ…せいしろ…さ、ん だめっ」
「『だめ』じゃないでしょう。
こう云う時、なんて言えば良いのか、お教えしましょうか?」
脚の付け根の窪みを強く吸われ、昴流の脛が撥ね上がった。
「…おねが、い」
「まだこれからですよ、昴流君。
それにしても、君がこんな風にされるのがお好きだったとは… 知りませんでした」
軽蔑したような星史郎の言葉に、唯一自由になる首を振る。
しかし一方では、こんなやりかたで好いように乱され、
その羞恥の先にいながら感じてしまっている自分が、昴流には堪え難い。
「もう… 許し、て」
「つまらない」
吐き捨てるように冷たい言葉を浴びせられ、唇を噛む。
手首を拘束していたものの一部が解かれると、星史郎の手で引き起こされた。
昴流は束ねられたままの手を胸元まで引き寄せ、崩れそうになる躰を星史郎に預けた。
自分に苦痛を強いているいる相手だと理解していながらも、その腕の中にあるとほっとする。
その一瞬の安らぎに息をついた時、髪を掴まれて上を向かされた。
「いつもより良かったのでしょう? あんなに淫らに躰を捩って… 」
布越しに、目蓋に触れる星史郎の指を感じる。
「君の涙が見られないのは残念ですが、こうして恥辱に耐える姿もなかなか良いですね」
唇が触れ合い、それから逃れようともがく。
髪を掴む手に力が加わり、昴流はいま一度、強く仰のかされた。
「唇を開きなさい」
「この可愛らしいお口を使って、僕にもして頂けませんか?」
星史郎の手が、昴流の頭の後ろに廻された。
躰が少しだけ前に傾き、唇が星史郎のものに触れる。
いつも星史郎が当たり前のようにしてくれている事を、要求されたのだと判った。
だがそれは、昴流にとって未だ理解の及ばない行為だ。
星史郎はそれをする時、不快に感じた事は無いのだろうか?
逡巡していると、上方から星史郎の声がした。
「嫌ですか?」
震える舌先で、そっと触れてみる。
ボディーソープの香りが鼻先を掠めた。
首を傾け、唇と舌で星史郎の形を辿る。
戦慄く唇を開くと、昴流は何も考えずに星史郎自身を口に含んだ。
思っていたような、嫌悪や不快感はなかった。
それは不思議なくらいだ。
多分、相手が星史郎だからだと思う。
昴流の耳をくすぐる指先が熱く感じられ、星史郎の息が速くなるのが分る。
急激に質量を増すものに戸惑いながらも、縛められた手を脚の間に着いて躰を前に出す。
すると、大きな二つの手が昴流の両肩を支えてくれた。
更に奥に迎え入れるために、自由の利かない手を添える。
その時の昴流には、全てを呑み下す覚悟は出来ていた。
しかし星史郎は口唇を犯すのを途中で止め、昴流を床に蹲るように押さえ付けた。
そして、今夜はまだ拓かれていない昴流の双丘を割る。
喉の裂けるような昴流の悲鳴を無視し、容赦のない力で一気に奥まで押し入る。
打ち付けるように突き、ぎりぎりまで引き抜く。 そしてまた…
昴流の切ない呻きと悲鳴が部屋に響いた。
白い背が、今しも折れそうになるほど反り返ったが、
星史郎は激しい抽送を止めてくれない。
尚も苦痛を強いるように動く星史郎に、許しを請いたいと思っても
昴流の口から洩れるのは、自分でも耳を覆いたくなるような掠れた悲鳴だけだった。
星史郎は、うつ伏せたまま動かなくなってしまった物を見下ろしていた。
つい先程まで激しく身を捩り、首を振り、喘いたというのに、今はとても静かだ。
爪先でその躰を突いて仰向けに転がす。
目隠しを取ると、そこに紛れもない昴流の顔があった。
縛めを解き、自分が昴流に付けた痕をひとつひとつ確認していく。
力なく投げ出された白い下肢が、血と精で汚れていた。
自らがした事なのに、それが許せなかった。
これを汚してはいけない
辱めてはいけない
何故なら ―
自分が今まで殺して来た物と
昴流は違う、と
― 今やっと、判った… から