『一日中家に篭っているより、学校へ行ってはどうですか?』と言いだしたのは星史郎さんだ
それなのに…
放課後のCLAMP学園内のカフェテラス
その中心にある円形テーブルに、一際目立つグループがいた。
「昴流さんが帰って来て、本当に良かった! 心配してたんですよ」
譲刃が嬉しそうに言うと、嵐もまたそれに応えるように頷いた。
「ええ、無事に戻られて安心しました」
「それにしても、あの桜塚護と一緒やったとはなぁ…」
神威は空汰のその言葉にムッとしたのだが、上手く言葉にならない。
― 昴流は、なんで桜塚護なんかと…
どうしてあんな奴がいいんだ?
「本当に心配を掛けてしまって…」
さっきから昴流は、何度この言葉を口にしただろう。
「神威、黙ぁってないで、お前もなんかないんか?」
「うるさいっ!」
神威が皆から顔をそむけると、昴流が済まなそうに呟いた。
「ごめん、神威」
「いっ、いい! もう… 」
「それで、これからどうなさるんですか?」
「どう、と言われても…」
嵐の言わんとしている事は分かるのだが、
昴流自身にも、明言できる事ではない。
「復学するて言うてはったし、仕事も…?」
「うん… まあ、ね。」
昴流からは、なんとも歯切れの悪い答えしか出て来ない。
昴流がこうして元気でいる以上、本人の意向はともかく
皇の現当主は昴流と云う事になる。
それが桜塚護と一緒にいて良い筈がない。
その上、のんびり学校に通うなんて間の抜けた話しを誰が信じるだろう?
座に気まずい空気が流れ始めた時、譲刃が大きな声をあげた。
「あっ、あれ、桜塚護さんじゃないですか?!」
皆が揃って譲刃の視線の先を見ると、桜塚星史郎その人が
にこやかな笑みを浮かべ、手を振りながら歩いてくる。
昴流は眩暈がした。
―なぜ、星史郎さんが学校に?
「昴流君、捜しましたよ。 みなさん、こんにちは」
星史郎は、昴流と譲刃の間の席に腰を下ろした。
「昴流君がお世話になってます。 こちらは三峰のお嬢さんでしたね。
ええと、譲刃さん? 桜塚です、よろしく」
譲刃は、何故だか顔を赤くして星史郎と握手をしている。
「あ、こんにちは。 猫依譲刃です… えっと、私の隣が」
「ええ、存じていますよ。伊勢の嵐さんですね。お隣が高野の空汰君、そして神威…」
星史郎と譲刃を除き、その場の全員が凍り付いていた。
しかし、責任感を奮い立たせ、昴流がやっとの思いで口を開く。
「星史郎さんが、どうして… 学校に?」
「用があったんですよ。昴流君に」
「僕に? 今朝は何も仰ってなかったでしょう」
「だから急用なんじゃないですか」
星史郎は穏やかに言い、ついで、注文を取りに来たウェイトレスに
チョコレートパフェを頼んだ後、駄目押しのひと言を付け加えた。
「出掛ける前に、愛する昴流君のお顔を見たくなったんです」
「…仕事、ですか?」
「2~3日帰れないと思います」
「どちらへ…」
星史郎は昴流の問いには答えず、微笑み返しただけだ。
周りの者はと言うと、二人のやり取りに固唾を飲んでいる。
「それで出掛ける前に、昴流君のお顔を見てからと思いまして、学校に寄る事にしたのです」
「よく、ここが分かりましたね」
「昴流君、君は大変有名みたいですよ。皇昴流君を見ませんでしたか?と聞くと
皆さん、朝は学生課で見たとか、11時くらいには図書館にいたとか…
勿論このカフェにいる事も、その辺を歩いていた女の子に聞いて来たんです」
星史郎の言葉に、昴流は絶句した。
この、ただ立っているだけで目立つ星史郎さんが、僕の事を聞き回りながら
学校中を歩いて来たなんて…
しかし、次に追い討ちを掛けたのは星史郎ではなく、嵐だった。
「昴流さんは目立ちますからね。 高等部でも、昴流さんの事が噂になっていました」
「な…んで?」
「なにか、こう、人目を惹くのは確かだと思いますけれど」
「昴流さん、とってもキレイですもの!もちろん私達の学年でも話題騒然ですよ」
譲刃も嵐に続く。
頭を抱える昴流を、空汰が気の毒そうに見つめた。
女とは、誠に残酷な生き物である。
座が静まり返ると、また譲刃が場違いな声を上げた。
「桜塚さんって、近くで見てもカッコイイですねっ」
「恐れ入ります。 譲刃さんも、とても可愛らしいですよ」
心がこもっているのか、いないのか…
昴流は背中に冷たいものを感じたが、譲刃の笑顔を見ると何も言えない。
星史郎のチョコレートパフェがテーブルに届き、また沈黙が流れた。
美味しそうにそれを食べている星史郎を、隣のテーブルの女の子達までが注目している。
― この場をどうにかしなければ…
昴流は思い切って口を開いた。
「あの… 星史郎、さん?」
「なんですか、昴流君。 あ、チョコパ食べます?」
「いえ、そうではなく…」
星史郎は昴流の口にスプーンを差し入れて笑っている。
「美味しいですか?」
「…ん、……あの、そう云う事ではなくて」
「そうだ、新幹線の時間が… 残り、食べて下さいね」
そう言って立った星史郎を、昴流も追うように立ち上がった。
「星史郎さんっ?!」
昴流が立った時、椅子が大きな音を立てたので、周りの視線が二人に集まった。
しかし星史郎はそれに構う事なく、昴流を抱き寄せる。
片手を昴流の背に、もう片方を頭の後ろに廻してキスをする。
唇を割り、執拗に舌を絡め、昴流から抵抗する力がすっかり削がれてもなお、それは続いた。
明らかに観衆を意識しての行為だ。
どのくらいの時間、そうしていたのかは定かではないが
昴流が開放されて椅子にへたり込んだ時、カフェテラスにいた全ての人から溜息が漏れた。
「良い子でお留守番していて下さいね」
そう言うと、星史郎は背広の内ポケットから何かを取り出し、
それを昴流のシャツの胸ポケットに納めた。
「僕がいない間、皆さんとお食事にでも行ってらっしゃい」
しかし、昴流からの返事は無い。
星史郎はすぐ隣にいる譲刃に微笑み
「昴流君はひとりでいると、碌な物を食べていないようで心配なんです。
宜しければ付き合ってやって下さいね」と言った。
「じゃあ、電話しますからね」
最後にそう言って昴流の首筋に唇を付け、ワザと大きな音を立てて吸った。
それまで茫然としていた昴流は、その音で我に返ったが時既に遅く
立ち去る星史郎の後姿を見送っただけで、とうとう抗議の一つも出来なかった。
その後は、当然のように好奇の視線に晒されて顔を上げることも叶わず、俯いたままだ。
長い間その場の誰も動けずにいたが、嵐が無表情な声で息苦しい沈黙を破った。
「昴流さん、これ、どうぞ」
そう言ってカバンの中から取り出したのは一枚のバンドエイドだ。
しかし、昴流にはその意味が分からない。
「首に…」
譲刃が顔を赤らめつつ、自分の首を指差して教える。
…首?
鈍い昴流もようやく気が付いた。
キスの痕?
その場所を手で隠し、溜息を付く。
「…ははっ、ええもん見せてもろた。 いや、あの」
「空汰さん!」
嵐は空汰を一喝した。
『一日中家に篭っているより、学校へ行ってはどうですか?』と言い出したのは星史郎さんだ。
それなのに、いざ復学しようとすればこれだ。
「昴流、大丈夫か? …それにしても、桜塚護は最低だな」
そう言う神威も顔を赤くしているが、譲刃は別な意味で頬を染めていた。
「桜塚さんって、大人ですよね~ すっごくカッコイイですよ!!」
「お前には、草薙とか云うのがいるだろう?!」
「草薙さんは別です!」
「ところでアイツ、何を入れて行ったんだ?」
神威が昴流の胸ポケットを指差している。
「えっ? あ、なんだろう…」
つまみ出すと、それはマネークリップに挟まれた一万円札だった。
一瞥しただけで、10枚は下らないと判る。
「おおっ!! これからの2日間は、全て昴流さんの奢りやなっ まずは特上カルビか?!」
「焼肉も良いですけど、お寿司も食べたいです~」
勝手に盛り上がる空汰と譲刃を無視して、神威が昴流を覗き込む。
「昴流、大丈夫か? 顔色、悪いぞ」
「…もう、何でも好きなだけご馳走するよ」
確かに気分は悪い。
最低と言って良いだろう…
昴流はそんな事よりも、明日からこの学園に戻って静かに勉強が出来るのか
今はそちらの方が心配だった。