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『すき。だからすき』 『東京BABYLON』 『X』 『ガンダム00』 等のよろず二次創作倉庫です。

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パラレル-ある朝、祈津が!? '06.11月 blogで連載 (イラストはmort様)




<Ⅰ>

 いつもならコーヒーを飲んでいる時間になっても、祈津が上から降りて来ない。つまり、あるべきコーヒーが智秋の目の前に無いと云う事だ。
 智秋は先ずそれに苛立ち、次にこれは変だと思った。祈津は時間に正確な男なのだ。つい先日まで智秋が風邪で寝込んでいたから、それが彼にうつったのかもしれない。

 直接様子を見に行こうと立ち上がった時、内線電話が鳴った。

「……智秋さん、おはようございます」
 声が裏返っている。
「どうした、風邪か?」
「本日、外出のご予定は……」
「熱でもあるのか?」
「もしお出掛けになるのでしたら、麻生に……」
「俺の質問に答えろ」
「彼はいま、東京にい――」
 最後まで聞かず、智秋は受話器を置いて階段を駆け上がった。

 綺麗に片付いたリビングを抜け、ノックもせずに寝室のドアを勢いよく開けると、もそもそとベッドにもぐり込む姿が目に入った。
「大丈夫か?」
「………」
 何かが変だと思った。
「おい、返事くらいしろよ。 そんなに具合が悪いなら病院に……」
 毛布を引き剥がそうとして、違和感は更に強くなる。

 ――小さい。  でも、なにが?

「祈津!!」
 力任せに引っ張ると、中から子供が転がり出て来た。見たところ、6~7歳といったところだろうか。祈津がパジャマ代わりにしているスウェットの上だけを着ている。
「……君は、だれ?」
「祈津です」
「………」
「………」
「そっくりだな。 ……祈津の子供、か?」
「私には隠し子なんていません」
「………」
「………」
「いま、私と言った?」
「言いました」
「……祈津?」
「はい」

「………ぇ、ええっ?!」




<Ⅱ>

「いや、だから祈津はダメなんだってば。 俺1人で出掛けると祈津が怒るし、今は何も聞かずに子供服を一式買って来てよ」
 智秋は階下に祈津を連れて来ると、取り合えず自分の服の中からタイトなシャツを選び出して着せ、麻生に電話をしている。
「サイズ? ええと…Sかなー?」
 振り返ると、祈津が立ち上がって智秋の傍まで来た。
「子供服は、恐らく身長でサイズが決まるのだと思います」
「あ、身長か…… えっと、1メートルちょっと。 110とか、120センチくらいの服を…… うん、そう、男の子用ね」
「下着類もお願いします」
「待って。 下着もね! 全部だよ、上から下までとにかく全部揃えて来て。……え、靴? 靴もあった方がいいかな。ちょっと待って」
 見ると、祈津は足に定規を当てている。
「18から19くらいですね。 紐靴だったら多少大きめでも調節が利きますから…」
「19センチくらいの紐のある靴がいいかな。 うん、史朗しか頼める人がいないんだよ。 うん、うん分かってる。 じゃあお願いします」

 智秋は携帯を切ると溜め息をついた。
「何か忘れ物は無いかな?」
「多分、大丈夫でしょう。  いろいろお手間を取らせて申し訳ありません」
「いや、別にいいんだけどさ。 なんでこうなっちゃったのかな?」
「はぁ……」
 祈津は首を傾げると、くしゃみをひとつした。
「あっ、寒い? それじゃやっぱり寒いよな。 下は何も穿いてないし…… 史朗が来るまで俺のベッドに入ってろ」
「ですが……」
「だって風邪なんてひいたら――  あ、」
「風邪……」
「おまえ、昨夜、なにか飲んで寝た?」
「風邪薬を」

 2人は薬箱を持って来て開けた。
「その薬のせいじゃないか?」
「でも、智秋さんも先日まで飲んでらしたでしょう?」
 小さくなった祈津も、一緒になって箱の中を覗き込んでいる。
「これだよな? ……あれ?」
 智秋は目の前に件の市販薬の瓶を翳して見た。が、中身は全く減っていない。確か自分が最後に飲んだ時、あと二回分しかないな、と思った記憶がある。
「祈津、何を飲んだ?」
「このくらいの大きさのパッケージで……」
 子供の手で四角を描いて見せる姿は微笑ましいが、今は笑っていられない。
「そんな薬、あったっけ?」
 祈津はまたくしゃみをすると、ずり落ちて来た眼鏡を押し上げた。
「ありましたよ。 グリーンのカプセルです」
「覚えてないな」
 智秋は祈津をベッドへ追い立てながら、必死に思い出そうとした。

「もしかして、みどり薬局で風邪薬を買った時に貰ったサンプルかな?」
「サンプル薬ですか? そう言われてみると、そんな感じでひとつだけ薬箱に……」
「あの時、いつものバイトっぽい子や店長がいなくてさ、知らない男が店番してたんだ」
「サングラスの、ガタイのいい男ですか?」
「そうそう。 人相はめちゃくちゃ怪しいのに、愛想は凄く良いんだ。 『コレも試してくださいねー』なんて言って…… それだっ!!  って、なんでそんなの飲んじゃったんだよ?!」
「処方薬は別の引き出しですし、この箱の中はファーストエイドセットと、市販の風邪薬と胃薬と頭痛薬くらいしか入ってない筈で……」
「で、よく確かめもせず、飲んじゃったのか?」
「はぁ、私の非は認めます。 ……認めますが、」
「なんだ?」
「薬屋がくれたサンプルで、どうしてこうなってしまうのでしょう?」
「……知らないよ」




<Ⅲ>

「いつ産んだ?」
 麻生はベッドの上に座っている子供を見ると、智秋に向かって言った。
「俺は産んでない」
「でも、祈津と瓜二つだ」
「祈津に似た子供だと、どうして俺が産んだ事になるんだ?」
「じゃあ、誰が産んだんだ?」
「俺は男だし、子供は欲しくたって産めないよ」
「欲しかったのか?」
「欲しくない!」
「そう怒るな。 俺も混乱してるみたいだ」
「……うん」
 2人が言い合いをやめたところで祈津が口を開いた。
「あの、宜しければその服を私に」

 祈津が着替えを始めたので、智秋は麻生とリビングに戻って待つことにした。
「よく分からないからデパートの店員に見繕ってもらったんだけど、子供服って高いんで驚いた」
「ごめん、すぐに払うよ。幾らだった?」
「持ち合わせが足りなくて。 これ、来月までに振り込んでおいてくれれば……」
 麻生が財布から取り出したクレジット明細を見て智秋も絶句した。
「なっ、なんでこんなに?」
「今、一番流行りの子供服ブランドらしいぞ」
「あの、ただの白いシャツ1枚が、1万5千円もするの?」
「それからブレザーに半ズボンだろ。靴だって見てみろよ。ふざけた商売してるよな」
「分かった。 祈津に請求するからいいよ」
「それで話は戻るけど、祈津はどこに行ってるんだ? あの子の母親が誰か聞いてるのか?」
「いや、それが……」
「あいつもアレでやる事やってるからなぁ」
「そうじゃなくて。 あのね……」
 智秋が言い淀んでいると、着替えを終えた祈津がやって来た。 
「誰がやる事やってるって?」
 まるで‘見掛けは子供、頭脳は大人’の名探偵ナントカ少年から、愛想と愛嬌の全てを差っ引いたかのようだ。
「なんだ、この可愛気のない子供は。 性格まで親父に似てるな」
「麻生に言われたくない」
「なっ、なんだと!?」
 今にも大喧嘩を始めそうな二人の間に智秋が割って入る。
「待って! ここは俺が説明するから、おまえはキッチンへ行ってミルクでも温めて飲んでなさい」
「コーヒーがいいです。 お2人の分も淹れて来ましょう」
「子供はコーヒーなんか飲んじゃダメ! 俺たちの事はいいから、自分のミルクだけ用意して飲む。分かった?」
「……はい」
 智秋は不満そうな祈津を見送ると、既に怒りモードに片足を突っ込んでいる麻生を見上げた。
「あれが祈津本人だ。 って言ったらどうする?」



 納得したのかしないのかは分からないが、とにかく麻生が黙ったところで、3人はみどり薬局へ行ってみる事にした。原因らしき薬を寄越したサングラスの男を、捕まえない事には埒があかない。

 しかし、店のシャッターには『臨時休業』の張り紙がなされ、裏に廻ってみても通用口は堅く施錠されている。
「本当にいないみたいだな」祈津は呟くと、電気のメーターを指差した。
「ん?」つられて智秋と麻生も上を見る。
「2、3階の住居部分の動きは、家電製品の待機電力程度。1階の店舗はそれに比べれば大きいですけど、業務用冷蔵庫とドリンク類の保冷ケースの事を考えるとこのくらいの電力は使うでしょう。 誰もいませんね」




<Ⅳ>

 既に昼近くなっていたので、3人はいつもの店に行って昼食を摂る事にした。

「あそこの従業員は、元から得体が知れないんだ」
 祈津は智秋の隣で食べ難そうにフォークとナイフを使っている。今の彼には、少しテーブルが高いようだ。
「調べたのか?」
 向かい側にいる麻生が顔を上げた。
「それは当然だろう。 智秋さんが住むにあたって近隣の下調べくらいはしたし、その後の出入りもチェックしてる。 怪しいとなれば犯歴照会だってするさ」
「おまえ、とっくに警察辞めてんのにそんな事――」
「辞めてこちらへ来てからも、警護課と奈宮家の間に立って手間隙惜しまず働いている。 それに、穴だらけだった奈宮邸の警備システムを組み直したのは俺だ。 正当な協力関係だと思うけど」
 麻生が「詭弁だ」と言ったところで祈津はどこ吹く風だが、お子様ハンバーグセットを前にしていてはサマにならない。
 その時、通り沿いの窓がコンコンと叩かれた。 ひなちゃんが日差しの下でニコニコと笑っている。

「うわー、うわー  可愛い! 祈津さんそっくりー」
 彼女は傍へ来るなり満面の笑顔となって、祈津の小さな手を取った。
「このガキのどこが可愛いんだ?」
「えー、かわいーよー 先生はかわいーって思わないの?」
「思う訳ないだろ!  それより、おまえ学校はどうした?」
「どして? 今日は土曜日だよー 学校、お休みだよ。 だから、ともくんと一緒にお昼ご飯を食べたいなーって。 絶対にここにいる!って思ったの。  えへへー 先生にも会えて良かったー」
 ひなちゃんは嬉しそうに言うと、今一度祈津の方に向き直ってぺこりと頭を下げた。
「初めまして、旭ひなたです。 お名前を聞いてもいいですか?」
「……祈津です。 祈津まさ――」
 智秋が横から手を出して、咄嗟にその口を塞ぐ。
「き、祈津の親戚の子でさ…… まさ、まさあきくん! 色々あって、しばらく預かる事になっちゃって」 
「昌秋、って…… やっぱりおまえが産んだんだろ?」
 麻生が呟くと、智秋は笑顔でその向こう脛を蹴り上げた。
 しかしひなちゃんはそんな事には気付きもせず、ご機嫌な面持ちで麻生の隣に座る。
「まさあきくんかぁ。 じゃあ、まーくんだね! よろしくねー」
「………」
「まー……」

 気拙い空気が流れる中、「ほら、働く車シリーズのパトカーだぞ」と、その場を取り繕うように智秋が明るい声を上げた。
 彼がさっきまで大人しかったのは、お子様セットに付いて来たミニプラモデルを組み立てていたからだ。
 しかし祈津は一瞥すると、「サイドの‘警視庁’の文字が抜けています」と言う。
「こんな小さなスペースに漢字なんて入らないよ。 MPDで良ければ、家に帰ってからアクリル絵の具でレタリングしてやる」智秋はそれを祈津の方へ走らせた。
 こんなオマケでも、ちゃんと動くところが凄い。
 せっかく作ってくれた智秋の機嫌を損ねるのも悪い気がして、祈津はそれを手に取った。
「これはきっと、RX-8をモデルにしてますね。 ご覧のようにスーパースポーツですが、4ドアです。 スポーツタイプのパトカーの場合、以前はGT-Rなどの2ドアが多かったんですよ。 ですが交通違反者の取り調べに後部座席を使うので、GT-Rは大変不便だった。 それで4ドアのRX-8を、警視庁が採用したんです」
「すごーい! 凄いよ~  まーくんはお利口さんなんだねー 自動車が好きなのー?」
 祈津のどうでもいい薀蓄にひなちゃんが感激して、麻生の機嫌はますます悪くなる。
「そんなのは、警察関係者ならみんな知ってる」
「ええーっ! でも、まーくんはまだこんなに小さいんだよー?  それにしても、喋り方まで祈津さんそっくりだねー ビックリしちゃったよー」




<Ⅴ>

 みどり薬局の連中が戻るまでやる事のない3人は、何ひとつ事情を分かっていないひなちゃんに誘われるまま、彼女の家に向かって歩いていた。

 途中、歩幅の合わない祈津が歩道の段差で躓いて転んだ。それを、ひなちゃんが慌てて助け起こす。
「大丈夫? 痛くない?」と甲斐甲斐しく世話を焼かれている祈津を見て、麻生の手が無意識に動いた。
「ふざけるのもいい加減にしろ!」と、気付いた時には祈津の頭を軽く叩いていたのだ。
 一拍置いて、祈津の目にじわりと涙が浮かぶ。
「ひどーい! こんなちっちゃい子をぶつなんて。 いくら先生でも、あたし許さないよー」
 ひなちゃんは抗議すると、その場にしゃがみ込んで祈津を抱き締めた。

 その間祈津は、呆けたように只突っ立っていた。どうやら子供の身体というものは、感情や痛みだけでなく、不意の出来事にも涙が反射的に出るものらしい。そう考えてようやく現実に戻って上を見ると、麻生も吃驚したような困ったような、なんとも複雑な顔をしている。
「すまない。  自分でも、コントロール出来な……」
 呟くような祈津の謝罪に背を向け、麻生は早足で歩き出した。
 その後を智秋が追う。
「そんなにカリカリしなくてもいいんじゃない? ひなちゃんは優しい子だもの。 祈津だからっていうんじゃなく、単に子供が好きで可愛いな、って思っているだけでしょう」
「そんな事は分かってる! そうじゃない、そうじゃなくて……  これからどうするんだ?」
 智秋は、麻生が妬いていると思ったのだが、どうやらそれは違ったようだ。
「どう言う事?」
「もし、このまま奴が戻らなかったら」
「まさかそんな……」
 笑い飛ばそうとした智秋も、事の重大さに口を噤む。3人とも今回の事件に対して、非現実的であるが故に、まるで夢か何かのように感じていたのだろう。だから唐突にこうなった以上、すぐに元に戻るものだと思い込んでいた。と言うより、思い込もうとしていたのかもしれない。


 先程のアクシデントは尾を引く事もなく、家に着く頃にはひなちゃんに笑顔が戻っていた。只その他の3人、特に祈津は、あれからあまり口をきかない。ひなちゃんが話し掛ければ答えるけれど、それもどこか上の空だ。
「まーくん、どうしたの。 つまんない?」
「いえ……」
「そうだ! あたし、絵本をいっぱい持ってるんだよ。 ともくんの描いた、くまさんシリーズも全部あるの。 読んであげようか?」
 どうするべきか問うように見上げて来る祈津に、智秋は頷いて見せた。
 彼は緩慢な動作で椅子から降りると、ひなちゃんの後を付いて行く。部屋を出る時に振り返ったその姿は頼りなく、鼻先にまでずり落ちて来ている眼鏡を直そうともしない。

「どうしよう」
 智秋が助けを求めるように麻生を見ると、彼もまた、眉根を寄せて考え込んでいる。
「ねえ、史朗」
「おまえが動揺してどうする。 いま一番不安なのはあいつなんだから、こんな時くらい確りしてろ」
「確りって言っても……」
「いつも通りにしてればいい。 普段、面倒見て貰ってるんだから、あいつが困ってる今、踏ん張らなくてどうする。 ここで共倒れになるなよ」



「どれがいーい?」
 そう言ってひなちゃんが示した本棚は、大半が絵本や児童書で占められている。
 祈津は迷わず、智秋の描いた『すき』を手に取った。
「あたしも、ともくんの『すき』が一番好きなんだ! あのね、これ」
「麻生と、旭さん…… ですよね」
「まーくん、知ってたんだー!?」
 祈津が頷くと、ひなちゃんは嬉しそうに頬を染めた。
「あたしたちをモデルにして描いてくれたんだよ。 ともくんから聞いてた?」
 聞いたのではなく、智秋がこれを描いている時、祈津はすぐ傍で見ていた。仕上がったイラストボードに、トレーシングペーパーを掛けるのも手伝った。
「これは、智秋さんも一番気に入っている本です」
「ほんとにー? だったらあたしも嬉しいな」
「………旭さん」
「ひなちゃん、って呼んで」
 この子がいなかったら麻生に笑顔が戻る事はなかった、と祈津は今でも思っている。

「ひなちゃん。 ありがとうございます」
「んー? まだ、本読んであげてないよー」
「もしかしたら暫くの間、ひなちゃんの大切な麻生をお借りする事になるかもしれません」
「どういうこと?」
「智秋さんには、警護する者が必要です」
「そうだよね! ともくんに酷い事をした悪い人、まだ捕まってないんだよね。 でも、祈津さんがいるから大丈夫だよ。  ……そう言えば、祈津さん遅いねぇ  ご用事が終わらないのかな?」
「ここで待っていても、‘祈津’は迎えに来ません」
「えっ、そうなの?!  うちに来るって、お店を出る時に誰も電話しなかったんだ。  大変だよー、すぐに電話しなくっちゃ!」
「彼には智秋さん以上に大切な用事なんてありませんし、智秋さんが何処にいるのかも知っています。 ですが……今は来られない」
「……どして?」
 困惑しているひなちゃんに絵本を返すと、祈津は「失礼します」と言って部屋を出た。


「麻生、話がある」
 ついさっき項垂れて出て行った祈津が、2人のところへ戻って来た。
「この後、智秋さんをマンションまで送って欲しい」
「始めからそのつもりだったが」
「それから今後の事だけど――」
「ちょっと待った!」
 祈津の言葉を智秋が遮った。しかし祈津は、それを無視して話し続ける。
「この先、どこまで仕事が入ってる?」
「明日から1週間契約の分はキャンセルできない。 その後は少し空いて、10日ほど海外へ出る予定だ」
「その10日分の代替え要員は、俺が責任を持って探す」
「祈津!」
 とうとう立ち上がった智秋を、今度は麻生が押し留めた。
「おまえは旭んとこでも行ってろ。 今はビジネスの話だ」
「でも」
「智秋さん、申し訳ありませんが席を外して下さい」
「だってこれは、俺のっ……」
「旭さんが心配をするといけないので、あちらをお願いします」




<Ⅵ>

 麻生は智秋のマンション内を異常がないか見て廻ると、すぐにも帰ろうとする。
「ゆっくりして行けば?」
 それを智秋が引き止めた。彼としては、もう少し麻生に傍にいて欲しかった。祈津が頼りないと言うより、どうすればいいのかが分からない。
「俺はおまえ等みたいに暇じゃないんだ。これからやる事がいっぱいあるんだよ」
 麻生は細々とした指示― 詰まるところ、それは智秋に‘今は祈津がいないものと思って慎重に行動しろ’という念押しを繰り返すばかりだ。
「祈津は急病という事で、警護課から人を出して貰う。期間は俺がいない1週間だ。 それはもう手配したから、明日には1人か2人来る筈だ。 だから大丈夫だよ」
 そう言われて初めて、智秋は自分に必要なのが身の安全を保証してくれるだけのSPではない事に、やっと気が付いた。

 全てが不安だ。


 麻生はそれを知ってか知らずか、最後に祈津の頭を大きな手でくしゃくしゃと撫で回すと「どうにかなるさ」と呟いて帰ってしまった。

 祈津は智秋の横で、無言のまま乱れた髪を直している。顔を顰めているところを見ると、今の麻生の行為に腹を立てているようだ。その様子が少し可笑しくて、智秋もまた麻生と同じように手を伸ばした。
「やめて下さい」
 ふわふわと柔らかい子供の髪が、智秋の指の間をくすぐる。
「気持ちいい。 触り心地がいつもと全然違う」
「……智秋さん」
「ああ、ごめん」
「申し訳ありませんが、少し休ませて頂いて宜しいでしょうか」
「どうした?」
 身を屈めて覗き込んで見ると、祈津はやけに青白い顔をしている。
「忘れてた。 おまえ小さくなってるだけじゃなく、風邪気味だったな。 大丈夫か?」
「ええ、少し横になれば……」
「どこか痛いとか、気持ち悪いとか?」
「いいえ、ちょっと疲れただけです」
 智秋は、ひとりで大丈夫だと言う祈津の後について階段を上がる。
「本当に、大丈夫ですから」祈津はそう言いながら、智秋が傍にいるのも構わず淡々と身支度を解いていく。普段なら在り得ない事だった。それだけの余裕がないのだろう。
 彼は智秋の見ている前で、歯を磨いて顔を洗い始めた。そしてぶかぶかのトレーナーに着替えると、さっきまで着ていたシャツや下着類を洗濯乾燥機に放り込んでスイッチを入れた。

「智秋さん?」
 寝室にまで付いて来た智秋を、祈津が気だるそうに見上げた。
「大丈夫だなんて嘘だ。 本当は、凄く具合が悪いんだろう? 正直に言えよ」 
「……寒気がするのと、身体の節々が痛いんです」
「熱の出る前触れかな? やっぱり医者に行った方がいいんじゃないか」
 それを聞いて、祈津は困ったように笑った。
「この身体で?  小児科にでも行けと仰いますか」
「じゃあ、どうすれば……」
「たかが風邪くらいで大袈裟です」
「……あのさ、俺がおまえにしてやれる事って、ないのかな?」
 祈津はベッドに上がると天井を仰ぎ見た。
「では、部屋を出る時に灯りを消して行って下さい。 それから、何かあったら遠慮なく起して下さいね」





<Ⅶ>

 冷たいと感じたのと、「熱い」と言う声が聞こえたのは同時だったと思う。祈津が目を開けると、智秋の顔がぼやけて見えた。
 額に感じた冷たさは、智秋の手だったようだ。
「凄い熱だな。 きっと39度はある」
「私は…… どのくらい眠ってました?」
「精々3時間弱ってところかな。  気分は? なんか飲む? ミネラルウォーターとスポーツドリンクしかないけど」
「では水を」と祈津が起き上がろうとすると、べしっと額を叩かれ枕に頭が沈み込む。
「っ…… なに、するんですか?」
 ――冷たい
「冷却シート。 気休めに貼っとけ」

 漸う起き上がってグラスの水を一気に空けると、身体の隅々にまで行き渡った気がした。
「何か食べて薬飲んだ方がいいよな。 レトルトのおかゆと、スープとプリンとフルーツゼリー、どれがいい?」
「まさか、おひとりで買い物に出たんじゃないでしょうね」
 白いビニール袋が目に留まって、祈津の声がひっくり返った。
「すぐそこのコンビニだ。 人通りが多い内の方が危なくないと思ったから、高校生がうろうろしてる時間帯を見計らって行って来た。  ……怒るなよ、非常事態なんだから。  怒ったってダメだぞ!」
「……………」
「どうした?」
「頭痛が……」
「よし、これでも食べて薬を飲め。 大人3錠だから、1錠かな? 2錠かな?」
 智秋にプリンカップとスプーンを押し付けられて溜め息が漏れる。
「ん? 食欲がなくても、何か食べてから飲んだ方がいいぞ」
「いえ、今日はこんな物ばかりですね。 ハンバーグだとか、プリンだとか……」
「ま、子供なんてそんなものだ。 治ったら、幾らでも好きな物を食べればいいさ」

「……智秋さん」
「なんだよ、だから怒るな!って」
「ありがとうございます」
「……あ、 うん」


 祈津が再び寝ようとすると、「じゃ、俺も」と言って智秋がベッドの中にもぐり込んで来た。
「何をやっているんですか?」
「俺も寝る」
「私は具合が悪いんです」
「知ってる。 だからここで寝る」
「智秋さん、お願いですから寝かせて下さい」
「添い寝してやる」
 祈津はリビングの方を見て考えた。今夜ソファなんかで寝たら、治るものも治らないだろう。

「もっとこっちに来い」
 智秋にぐいっと腕を引っ張られ、祈津は今の自分の非力さを痛感した。
「不満そうだな」
「風邪がうつりますよ」
「それ、元は俺がうつした風邪だ」
「……今日、風呂に入ってないので」
「俺、さっき入ったよ?」
 智秋は、こんなに言葉の通じない相手だったろうか。或いは、やはり熱のせいで自分がおかしくなっているのか?
「熱が高い時は、風呂はやめておいた方がいいと思うぞ」
「智秋さん」
「……そんなに俺が厭か?」

 智秋といるのが厭なのではなかった。

 横になると自然に智秋の腕に抱き込まれ、優しく頭を撫でられる。
 他の人間だったらご免被る所だが、これで智秋の気が済むのならそれでいいと思えた。
「かわいいな」と言う声に、祈津は「心にも無い事を」と首を振った。
「ひなちゃんも、かわいいって言ってたじゃないか」
「あれは旭さんだからです。 彼女の感性は特別なんでしょう」
「そんな事はないよ。 髪の毛ふわふわで、頬もつるんつるんで……」
「やめて下さい。 自分がどんな子供かくらい分かっています」
 子供の頃から、かわいいなどと言われた覚えはなかった。
「智秋さんや、旭さんや…… 麻生には分かりませんよ」
「なんだそれ?」
「かわいいと言われて育った人には分かりません」
「ふーん…… でも、ひなちゃんは嘘をついたりしないし、俺もそう思うんだからいいじゃないか」
「優しく、しないで下さ…… 」
「病気の子供に優しくするなって、難しい注文だな」
 頬にキスされて、祈津は顔を背けた。

「戻らなかったら、お暇を頂かなければいけませんね」
「なに? 何の話?」
 背中に回された智秋の手が止まる。
「このままだったら、私の後任は麻生に頼むしかないと言う話です」
「あのさ、あの薬が原因だったとして、薬の効果が切れたら元に戻っちゃうとかないかな?」
「まさか。  戻れる保証なんてないんですよ」
「それを言うなら、戻れないと決め付ける理由もないだろう?」
「智秋さんは、いつからそんなオプティミストになったんです?」
「昔からだよ。 知らなかった?」



「熱、今夜中に下がるといいけど。 何か俺にして欲しい事、ないの?」
「ありません」
「何かしてないと、俺が不安なんだよ」
「……では少しの間、一緒に音楽でも聴いて下さいますか。 何でもいいです。智秋さんのお好きな物をかけて下さい」
 智秋はベッドから這い出すと、時間を掛けてCDラックから2枚組のディスクを選び出した。
「これ、聴いた事ないな。 ピアニスト自身が自分用に編曲したんだね?」
 音楽が流れ出して、智秋がベッドに戻って来た。
「ニュルンベルグのマイスタージンガー…… なんでこんな曲を選ぶんですか?」
「だって、俺の聴きたいのでいいって言ったじゃないか。 ピアノ版なんて聴いた事なかったからさ。 面白そうじゃない」
「……ワーグナーは好きじゃない」
「だって、おまえのCDだよ?」
「好きなピアニストで、これはカップリングのベートーベンの方が目当てだった……」
「でも、ピアノでマイスタージンガーなんて面白い」
 智秋の手が、ぐずる子供をあやすように祈津の背を撫で下す。
「おまえが好き嫌いを言うのは珍しいね。 どうしてワーグナーが嫌いなの?」
「……大仰で、派手で、まるで舞台の書き割りみたいじゃないですか」
「随分だなぁ……  でも、世にワーグナー好きは多いよ。 例えばルートヴィヒⅡ世とかさ」
「ルートヴィヒは、きっと寂しかったんですよ」


「……おまえがいなくなったら、俺、熱狂的なワグネリアンになっちゃうかも」





<Ⅷ>

 智秋が目覚めた時、隣に寝ていた筈の祈津がいなくなっていた。
 昨夜は流石の智秋も、病人と一緒に寝ているという意識のせいか何度も目を覚した。その都度祈津の様子を窺い、汗を拭いてやり、氷枕を換え、彼が目を覚ませば水を飲ませたりもして、そのうち自分も疲れて最後は熟睡してしまったのだろう。

 心配になって起き出すと、バスルームから水音がしている。
「祈津?」
 ドアを開けると、見慣れた白いYシャツの大きな背中が目に入った。振り返る祈津を、智秋はいつものアングルで見上げる。
「大丈夫、なの、か?」
「はい。 ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
「元に、戻ってる……な」
「そのようですね」
 ほっとしたのと同時に、祈津の飄々とした返答に言葉が詰まる。
「……泣かないで下さい」
「なっ… 俺は泣いてないぞ!」
「智秋さんが仰ったように、割とあっさり元に戻れましたね」
「……ったく、もう!!  それで、本当に大丈夫なのか?」
「ええ。 実はまだ、体中が痛いのですが……」
 そう言って祈津が首や肩を回すと、ボキボキと派手な音がした。
「ですが、熱は下がりました。 智秋さんが一晩中看病して下さったお陰です」
「あ、有り難く思えっ!!」
 腹立ち紛れに声を荒げると、彼は「はい。 ありがとうございます」と言って、身体を少し屈めて頬を寄せて来た。
 今つけたばかりのアフターシェーブローションの、爽やかな香りが立ち昇る。

「子供のおまえもかわいかったけど、やっぱりこの方がいいな。 落ち着く」
「私もです」
 智秋が堪らず抱き付いてキスをねだる。祈津の身体はまだ熱いように感じられた。
「熱、下がり切ってない…… もう少し、休んでいた方がいいんじゃないか?」
「昨日の今日ですからね、まだ本調子という訳にはいきません。 でも、先に済ませておきたい事がありますので」
「なに?」
「今からみどり薬局に行って来ます。 この悪戯の落とし前はきっちり付けて貰わなければ、私の気が治まりません」
 祈津は智秋から身体を離すとバスルームを出た。
 ネクタイを締めて、背広に袖を通す。
「怒ってるの?」
「それはもう、これ以上は無いというくらいに」
 そういう祈津の顔は、少し楽しそうだ。
「もしかしてあのサングラスの男、前から知ってた?」
「いいえ。 本当にあの薬屋の連中は、何処をどう調べてもはっきりとした素性が掴めません」
「でも、あそこでちゃんと営業している以上、店長くらいは簡単に調べられるだろう」
「はい。 とても胡散臭い経歴なら幾らでも出て来ますよ」
「俺も一緒に行っちゃダメ?」
「すぐに戻りますから。 それよりもこれをお願いします」
 祈津は机の上にあった物を投げて寄越した。
「文字入れして下さる約束でしたね。  では、行って参ります」

 手の中に残された小さなパトカーを見ている内に、祈津は行ってしまった。






 智秋はそんなに悪い薬でもなかったと思いながら、アクリル絵の具の箱を開けた。






     To Miss mort  Thank you for drawing the illustration.



2006.11月連載

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