河口湖から司令部へ戻ろうとした時、ギルバート・G・P・ギルフォードはユーフェミア副総督を宮殿まで送るよう命じられた。
ブリタニア帝国の第2皇女であり、現在はエリア11の総督でもあるコーネリア・リ・ブリタニアを前にして、ギルフォードに否はない。彼は最敬礼でそれに応え、自身のグロースターを部下に任せると皇族専用車両へ足を向けた。
陰ではブリタニアの魔女と恐れられるコーネリアも、この妹姫にだけは甘い。本来の彼女なら、すぐにも拘束されていた時の状況を聞こうとしたに違いなかった。だが、長い時間卑しい者共に拘束されていた妹姫を気遣う余り、一刻も早く休ませてやりたいとの思いが先行してしまったのだろう。
車両が宮殿正面玄関に静かに停車し、2人は大理石を敷き詰めたピロティに降り立った。
「此処で結構です、ギルフォード卿。 ご苦労様でした」
「身に余るお言葉、いたみいります」
「どうしました。 もう下がっても宜しくてよ」
労いの言葉を掛けられても立ち去ろうとしないギルフォードを訝り、ユーフェミアは彼に向き直った。
「恐れながら、総督閣下より帰還のご命令無く、この場でお待ち申し上げたいと存じます」
「いつもそうなのですか?」
ユーフェミアは周りの者に問い、密やかな溜め息を漏らした。
「そう…… 私には軍の事は何も分かりません。 これからも、お姉さまの力になって差し上げて下さいね」
「御意に添えるよう、お仕え致したく存じます」
「おやすみなさい」
ギルフォードは、自分が此処で総督の帰りを待つという意味を、この年若い姫君がどのように解釈したのか考えようとし、すぐにそれを切り捨てた。
「おやすみなされませ、ユーフェミア皇女殿下」
それはどうでもいい事だ。己が仕えているのはこの姫ではない。
ユーフェミアが自室のある棟へ消えると、ギルフォードはその反対へと足を向けた。すぐに、コーネリア付きの侍女が追って来る。
「コーネリア殿下より、お食事のご用意を賜わっております」
「総督閣下は如何なされると仰せであった?」
「殿下はダールトン将軍と軍議も兼ね、食事を済ませてお戻りになられる由にございます。 ギルフォード卿におかれましては、寛いでお待ち頂くようにと」
「分かった。 では、軽い物を部屋までお願いしよう。 その他は構って頂かなくて結構」
それだけ言って、ギルフォードは足を速めた。酷く疲れていて、早く独りになりたかった。
コーネリアから与えられている部屋に入ると、ギルフォードはシャワーを浴び部屋着に着替えてソファに身体を投げ出した。手足は重く、頭の芯が鈍く痛む。食事を前にしても空腹は感じなかったが、言われてみれば朝食を摂って以来、何も口にしていない。やはり何か食べておくべきであろう。こうしたコーネリアの陰の気遣いが、忠誠心以上の何かを育てている。
ギルフォードの唯一の姫は、魔女などではない。
花の香りがする。
ブリタニアの皇族は、花の中でも殊のほか薔薇の花を好むようだ。この宮殿の庭も、前総督クロヴィス皇子の好みに合わせて真紅の薔薇が多く植えられている。
思えばコーネリア姫に忠誠を誓ったのも、ブリタニアの夏の離宮の薔薇園であった。士官学校を出たばかりの自分に、まだ少女だった姫は白薔薇を一本差し出して言った。
己の忠実な騎士になれと。
――あの時と同じ薔薇の香り
唇に触れる柔らかな花弁の……
リアルな感触に驚いて目を開けると、離れて行こうとするコーネリアの顔が間近にあった。
「起こしてしまったな」
「殿下」
急ぎ、ギルフォードはその場に膝をついて非礼を詫びた。
「よい。 そなたも疲れているのであろう。サイタマゲットー掃討作戦以来、息をつく間もなかった」
「それは私だけではございません」
「そうだな。今日ばかりは私も疲れを感じている。 ユフィが無事に戻り、力が抜けたのやも知れぬ」
「ユーフェミア皇女殿下に大事無く、何よりにございました」
「あのナンバーズ、思っていたより使えるようだな」
「しかし、特派は諸刃の剣にて」
「分かっている、分かっているとも。 あれは兄上の……」
コーネリアがソファに腰を降ろすと、白い軍靴の先がギルフォードのすぐ目の前に来た。
吸い寄せられるようにギルフォードが靴先に口付けると、「よせ」と激しい叱責が飛んだ。
「止めよ、ギルバート」
コーネリアの白く細い手が伸び、ひと括りにされているギルフォードの髪を解いた。漆黒の髪が広い背中を流れ、肩を滑り落ちる。
「この髪は切ってはならぬ」
「この身も心も姫様のものなれば」
言ってギルフォードが顔を上げると、花開くような笑顔がそこにあった。極めて限られた者にしか見せない、彼女本来の優しい微笑みだ。
「殿下」
「そなたは私に、2人でいられる僅かな時間まで仮面を被っていろと申すのか? ここでは名で呼び合うと決めた筈だ。 違うか」
「……コーネリア様」
「ギルバート、全てを我に捧げよ」
甘く囁くそれは、命令に非ず。